【吉冨愛子】テニスを嫌いになった元プロが、ピックルボールで見つけた「もう一度戦う理由」
選手特集

【吉冨愛子】テニスを嫌いになった元プロが、ピックルボールで見つけた「もう一度戦う理由」

テニスで世界を転戦しグランドスラムに届かず26歳で引退。勝利至上主義に苦しんだ元プロが、ウガンダの子どもたちとピックルボールとの出会いで再び世界に挑む。吉冨愛子の再生の物語。

ラケットをゴミ箱に捨てたくなったことがある人にしか、わからない感覚がある。

「勝ちが正解。負けは不正解。」

そう信じて4年間、世界を転戦した元プロテニスプレーヤーがいた。

グランドスラムには届かず、26歳で引退。 テニスが嫌いになりかけていた。 ストイックなアスリートに見受けるかもしれないが、話した感じの人柄を表す写真にぴったりな写真も載せておくストイックなアスリートに見受けるかもしれないが、話した感じの人柄を表す写真にぴったりな写真も載せておく

そんな彼女が、ウガンダで裸足の子どもたちとボールを追いかけ、東京ビッグサイトでピックルボールと出会い、夫と2人で世界に挑み始めた。

吉冨愛子 (Aiko Yoshitomi)。 これは「もう一度、コートに立つ理由を見つけた女性」の物語だ。

先日世界最高の団体戦の舞台、

MLPドラフトでも指名された日本女子ピックルボールのトッププレイヤーである。


1. 158cmの小さな身体で、テニスの頂点を目指した

吉冨愛子のピックルボール写真吉冨愛子のピックルボール写真

1993年9月24日生まれ、愛知県名古屋市出身。身長158cm。

テニスの世界で158cmは、はっきり言ってハンデだ。

サーブの打点が低い。 リーチが短い。 パワーで押される。

でも吉冨は、その小さな身体で勝ち続けた。

この成績に引けを取らないテニス出身のピックルボールの選手は、かの腕立て伏せで有名な藤原里華氏くらいだろう。

  • 椙山女学園高校: インターハイ優勝
  • 早稲田大学: インカレ優勝、ユニバーシアード銅メダル
  • プロ転向後: ITFダブルス8勝(2019年だけで5タイトル
  • ITFダブルスランキング: 最高7位
  • 全日本選手権: シングルスベスト8

高く跳ねるトップスピンと、コートを端から端まで走り回る俊敏なフットワーク。 158cmの身体には不釣り合いなほどの「戦闘力」で、グランドスラム出場を目指して世界を転戦した。


2. 「勝ちが正解、負けは不正解」——テニスが嫌いになった日

PPA Tour Asia マレーシアPPA Tour Asia マレーシア

でも、プロの世界は残酷だった。

グランドスラム出場という夢は、4年間追いかけても届かなかった。 吉冨の心は、いつしか「勝利至上主義」に支配されていた。

勝ちが正解。負けは不正解。

目標とした戦績に届かないことを「悪」と見なすようになった。 好きで始めたはずのテニスなのに、自分のテニスを心から肯定できなくなっていた。

2020年3月、吉冨は26歳で引退を発表した。

理由はこう語っている。

グランドスラムに行くために何が必要か考えた時に、もう環境を整えられないと感じた。

ITFダブルス8勝、ランキング7位。 十分すぎる実績だ。 でも本人にとっては「届かなかった」という事実だけが残った。


3. ウガンダの裸足の子どもたちが教えてくれたこと

引退後、吉冨は「スポーツの本質」を見失っていた自分に気づく。

きっかけは、友人から送られてきた1本のSNS動画だった。

映っていたのは、アフリカ・ウガンダの子どもたち。 石ころが残るコートで、靴も履かずにテニスをしている。

でもその顔は、笑顔に溢れていた。

吉冨は単身ウガンダに渡った。

現地で活動する「Tennis For All Uganda」——スラム街や農村の子どもたちに、テニスを通じてライフスキルを教える団体だ。

吉冨はそこで、彼らと一緒にボールを追いかけた。

彼らは物資的な持ち物は少ないかもしれないけれど、私たちにはない心の豊かさを持っている。

ウガンダの子どもたちは、勝ち負けなんか関係なく、ただボールを追いかけることに全力だった。

ラケットを握ることが、それだけで楽しいということ。吉冨が競技生活の中で忘れかけていた「スポーツの原点」が、そこにあった。

スポーツ選手でありながら、スポーツの本質を忘れていた。

この気づきが、吉冨の人生を変えた。


4. 東京ビッグサイトの運命的な出会い——ピックルボールへの転向

吉冨愛子と夫・三好健太のピックルボール挑戦吉冨愛子と夫・三好健太のピックルボール挑戦

2023年6月末。 東京ビッグサイトで開催されたスポーツイベントで、吉冨はピックルボールと出会った。

パドルを握った瞬間、身体が反応した。 テニスで培った技術がそのまま活きる。 でも、テニスにはない独特のリズムとスピード感がある。

何より——楽しい

かつてテニスを始めたときの、あの純粋な高揚感が蘇った。

しかも、吉冨にとって最高のパートナーがいた。 夫の三好健太 (Kenta Miyoshi) だ。

三好もテニス出身で、2人はすぐにピックルボールにのめり込んだ。

2024年9月、吉冨はプロピックルボール選手に転向。 夫婦揃ってプロとなり、世界に挑戦する道を選んだ。

ピックルボールの知名度が今よりも圧倒的に低い頃から 泥臭く、投資を惜しまず海外に挑戦し結果を残している事実は、 強さ以上に人物像に魅力を感じる。 ストイックな話しか出てこないが、こういう一面もストイックな話しか出てこないが、こういう一面も


5. 世界ランキング56位——夫婦で「初のアジア人カップル」に

プロ転向からわずか数ヶ月で、吉冨は結果を出し始めた。

大会・実績結果
PPA世界ランキングダブルス56位
PPA Tour Asia マレーシア女子ダブルス3位
PPA Tour Asia 香港ミックスダブルス優勝

特に注目すべきは、夫・三好健太とともに**「PPAツアーに参戦した初のアジア人夫婦」**という歴史を作ったこと。

ピックルボールの本場アメリカで、日本人の夫婦が肩を並べてプロの舞台に立っている。

テニス時代、吉冨は孤独な戦いを強いられていた。 海外を一人で転戦し、「環境を整えられない」と感じて引退した。

でもピックルボールでは、隣にパートナーがいる。 ミックスダブルスでは文字通り一緒にコートに立てる。

夫婦共々世界に挑戦し、挑戦を楽しむムーブメントをピックルボールで起こしたい」——吉冨のこの言葉には、テニス時代には出てこなかった「楽しむ」という言葉が入っている。


6. 「全力を尽くす姿が、誰かを勇気づける」

テニス選手引退後、吉冨はかつてのファンからのコメントを読み返したことがある。

驚いた。ファンが感動していたのは、勝ち負けじゃなかった。

  • 試合中の審判やボールボーイへの態度が素敵だった
  • 困難な状況から巻き返す姿に元気をもらった
  • 所作が美しい

勝敗とは無関係なところに、人は感動していた。

テニスで「勝てなかった」と思っていた4年間。 でも、その4年間で吉冨が見せた「全力を尽くす姿」は、確実に誰かの心を動かしていた。

そして今、ピックルボールのコートで、吉冨はもう一度「全力を尽くす姿」を見せている。 今度は、「勝ち負け」ではなく「挑戦そのもの」を楽しみながら。

158cmの身体に宿る闘志は、まだ燃え尽きていない。

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